ハルハログ

LINEは危険?情報が筒抜けになってんじゃないかと確信した話

どうも、5時間のバイトの後LINEをチェックすると通知が2件、ハルハロです。

 

LINEの内容が筒抜けになってるんじゃないかというお話です。

まず断っておきますが、僕はITに精通しているわけではないし、あくまで推定の話です。しかし、実体験としてそのように感じましたのでお話します。

 

それは昔、友人が台湾へ留学へ行くという話をラインでしていた頃。

Twitter広告である台湾の大学への留学の広告が出てきました。そこで私は「なんてタイミングなんだ!こんな偶然があるものなのだなあ」と思い、友人にそのスクショを送りました。すると友人から返ってきた返事はこのようなものでした。

「そこの大学行ったことある(笑)」

その時のスクリーンショットがこちらです。

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そうなんです。僕自身は一切グーグルで検索をしたりはしていません。

しかもトーク相手がいったことのある大学が表示されるという事は、僕のトーク履歴だけでなく、相手の端末の情報すらLINEが吸い上げているということになります。

しかしこの時は偶然かと思い、すぐに流してしまいました。

それが昨日、LINEでディズニーランドの話をしていたとき、ふとFacebookを開くと今まで出たことのなかったディズニーランドの広告が。Facebookでディズニーの事柄を検索したりはしておらず、Facebookがアプリ内だけの情報収集に完結していない事は明らか。さらにまたLINEで話題が出た直後ということもあって疑いが確信に変わった瞬間でした。

 

今のIT社会では考えられないことではないのですが、LINEがここまで詳細に情報収集をし、LINEとは関係のないところで情報が用いられているところを考えると、どんな情報でも筒抜けにできるということではないでしょうか?

 

情報が流出する覚えがないのに急に迷惑メールが増えたりしていませんか?

急に知らない番号から電話がかかってきたりしていませんか?

 

LINEでそれらの個人情報を送信したことはないでしょうか?

 

誰にも見られることがないと思っていたLINEの中のトークルーム。

そっと暗い隙間から、誰かがこっちを覗いているのかもしれません。

 

※あくまでネタであり、この推察の審議は定かではありません※

これさえ知っていればどんな知識人にも勝る! 最強の知識

こんにちは、時々哲学の本を読むハルハロです。

 

みなさんは自分がどれほど物知りだと思いますか?

人並み以下でしょうか?常識はある方でしょうか?それとも博学でしょうか。

 

今日はどんな知識にも勝る最強の知識を皆様にお伝えしようと思います。

 

最強の知識、それは無知の知

結論から言いますと、最強の知識とは「無知の知」だと思っています。

無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるということ。哲学者ソクラテスの言葉、概念。

引用元:無知の知とは - はてなキーワード

少しわかりにくいですが、「人間は全てを知りうることなどできないのに、あたかも何でも知っていると思う人間より、自分が無知であることを自覚できる人の方が少しだけ優れているよ」ということです。

ひねくれたとんち話のように聞こえますが、意外とこれは実用的な知識です。

次の章では自分が無知であるという知識がいかに実生活を豊かにするのかをご紹介します。

 

無知の知を持つことの効用

寛大になれる

自分が無知であることを知っていると、例えば人が何かを意見した時に批判をすることがなくなります。さらに、自分が人に嫌な気持ちを抱くことも少なくなります。なぜかというと、自分が無知であることを自覚していれば、人の意見の裏にある自分が知らざる理由の存在を意識することができますし、嫌いな人に対しても、自分が知り得ない事情があるのではないかと冷静になることができます。

無知の知は、僕たちに批判することへの慎重性を持たせてくれます。他人や、他人の意見への慎重さは僕たちに大きな気づきを与えてくれると同時に、人のことを嫌ったり、批判したりという精神的負担を軽減させてくれます。

好奇心が増す

自分がどれほど多くの情報を手に入れようと、物事を知り尽くすことはできないと悟った時、僕たちは知的探求をやめません。もしも「もう僕はすべてのことを知り尽くせたぞ」と満足してしまえば、もう学ぼうとすることはなくなります。

自分を俯瞰できる

自分の物の見方や、考え方、つまり主観を作り上げる物ってなんでしょう。それは自分の知識や経験です。

この知識や経験に自信を持てば持つほど、主観から抜け出すことができなくなります。つまり自分がやっている物事や、自分の考えを第三者視点から見ることができなくなるんですね。

自分の経験や知識が十分なものではないと考えることができたらどうでしょう。常に自分の主観を信じきることなく、すぐに俯瞰的、第三者的に自分の行動を見つめ直すことができて行動や思考の軌道修正ができると思います。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。

この「無知の知」、知っているだけで世界の見え方が変わってきます。

今日からあなたの行動や思考も少しずつ変わっていくことでしょう。

何をやっても失敗ばかりという人へ 成功へと導くマインドセット

こんにちは、自分は運がいいほうだと思っています、ハルハロです。

 

 

今日は「何をやっても失敗ばかりだな」と落ち込んでいる方に向けて

どうやったらその状況を抜け出すことができるのかをお話したいと思います。

 

 

状況を抜け出すには、、、

 何をやっても失敗ばかりという状況を抜け出すには、

ずばり待つしかありません。

なぜなら、今何をやっても失敗ばかりだという状況は、

極論運が悪いだけなのです。

何をやっても成功ばかりする人がいますよね?

そういう人は実力があるにしろ、運がいいだけなのです。

実際どれだけ成功をする人でも急落することなんて多々ありますし、

逆に失敗続きの人が急に大成功を収めるなんてことはよくあります。

 

「何をやっても」という事はいろいろなことに挑戦している証拠です。

その挑戦する姿勢を崩さなければ、いずれは成功するタイミングが訪れます。

 

逆に運がいい時ってどのような状態なのでしょうか。

次の章では運が悪い時の打開策をそこから考えます。

成功しているときは

僕たちがいい事続きの時って

「なんて幸せなんだろう。こんなに幸せであっていいものか。」

と頭がお花畑になります。

昔辛かったときのことなんてすっかり忘れてです。

人間ってそういうものなのです。

運が良かったり悪かったり循環している中で、

運が悪い時は落ち込むし、運がいい時は幸せです。

なので運が悪くて何をやっても失敗するときは、ぐっと耐え忍べばいいだけなのです。

 

運のきまぐれな循環で人生の幸せが不安定になってしまうのってなんだか馬鹿らしいですよね。

次の章では人生の幸せを安定的なものにする方法をお話したいと思います。

 

幸せを安定的に手に入れる

幸せとは、達成するものではありません。

些細な日常から発見するものなのです。

新興宗教みたいで気持ちわるいですよね。

でもこの意味がわからないと、人生の運が悪いタイミングがただただ苦しく、

人生の半分は不幸だったなどと死ぬときに思いかねません。

 

やり方はとても簡単。

どれだけつらい日でも3つは幸せだったことを思い出します。

寝る前に目をつぶっている時で構いません。

しかし思い浮かべるだけではなんなので、

例えば日記の片隅に「今日の幸せだったことコーナー」を設けるとか、

続けやすい工夫をしてみてもいいかもしれません。

 

実際に僕が「何をやってもダメだ」なんて思っていた時に挙げていた幸せなこととは、

「今日は朝ごはんがしっかり食べれた」とか、

「電車の中の赤ちゃんがかわいかった」とか、

「通勤の時に綺麗な景色を見つけた」とか、そんなものです。

しかし、この習慣を身につけると日常にたくさんの幸せが転がっていることに気づきます。

これを続けると幸せなことに目が行くようになり、人生が幸せだと思えるようになるのです。

 

最後に

本当に宗教みたいですよね。

でも僕はみなさんからお金は取らないし、勧誘もしないので、

是非こっそりとこの習慣を初めて見てください。

必ずこの習慣の効果を感じることができると思います。

そうすれば何をやってもダメな運が悪い時期ですら、人生は幸せであると感じることができるようになると思います。