ハルハログ

社会人という言葉の罪

どうも、童心を忘れない、ハルハロです。

 

前から気になっていた言葉があります。それが「社会人」という言葉です。

 

僕はこの言葉がもしかしたら日本人の学生の責任感を弱めているのではないかと思うのです。

社会人という言葉がおかしい

まずこの社会人という言葉はおかしいです。何故かというと、大学生であれ、小学生であれ、みんな社会の一員なはずなのです。なのに職を持っている人間のみを社会人と呼ぶのはなんだかおかしな話です。

社会人という言葉が学生たちを社会人では無くす

僕はこの社会人という言葉の存在によって学生は「自分たちは社会人でないのでまだ社会の一員ではない」という意識が芽生えているのではあるまいかなと思うのです。

アメリカの大学生を見てみると、何故かみんなしっかりして大人に見えますし、自立をしているように感じます。これはこの論を正当化するために後からとってつけたのではなく、前々からどうしてアメリカ人はこんなに大人びているのだろうと不思議に思っていました。英語には社会人という言葉がありません。adultか、childです。もちろんstudentという言葉はあるのですが、彼らは大学生ともなればadultであるという自覚があります。親の手から離れている意識がかなりありますし、もう社会の一員であるという意識が芽生えているように思えます。もしかしたら社会人という言葉が日本とアメリカ(僕はアメリカにしか住んだことがありませんので、英語圏とは断言できません)の差を生んでいるのではないかと思うのです。

言葉が思考にもたらす影響の可能性

また、単語の有無で人の意識に影響が出るのかという疑問に対しては、よく起こる事であると言えます。例えば有名な話が英語には肩こりという単語がないので、彼らは肩こりを知らないという事。確かにパソコンの前で肩をもんでいる人って日本でしか見たことない気がします。そして別の事例でも原因と結果が逆になっていることもあります。人間は楽しいから笑いますが、つらいときに無理に笑顔を作っても脳は楽しく感じるという研究もあります。このように普通の因果関係と逆の事がよく起こるように、社会人という言葉が日本人学生の責任感の無さを増幅させているという事は十分考えられます。

学生として、大人として

大学生の時間は将来のために残された最後の時間です。もう社会の一員であるという自覚を意識的に持つ努力をしてみると、何か違った視点で物事が見えることもあるのではないのでしょうか。大人としても学生と接するときは「社会人になったら、」という言葉遣いは気を付ける価値があるかもしれません。