ハルハログ

創造とは模倣 クリエイティビティを引き上げる方法

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どうも、クリエイティブな事がなんでも得意なハルハロです。

 

得意と言ってもめちゃくちゃすごいわけではないんですが、

クリエイティビティを必要とする作業が何でも人並にできるわけですよ。

 

お洒落と言われるし、文章がうまいと言われるし(ブログ界隈でこの発言をすることは大変恐ろしいのですが、言われるもんは言われるので書きました)、歌が上手いと言われるし、演技が上手と言われるし、アートの授業や服飾の授業では才能があるとまで言われます。

 

でも、実際は才能なんてないんですね。

天才肌ですが、天才ではございません。

 

じゃあなんでそんないろんなことができるかというと、

クリエイティビティって身に着けようと思えば身に着けられるんです。

 

今日はそんなお話です。

 

創造とは模倣だ

創造とは模倣だ。よく言われるこの言葉。

 

実は僕この事にかなり昔から気づいていたんです。

 

たぶん小学生くらいの時です。

考え事をして寝れない時間に思いつきました。

 

「歌を作る人って何から作ってるんだろう。

どうやってあんなメロディを作っているんだろう。

おばあちゃんがよく聞く演歌はどれも同じような感じがするし、英語の音楽も日本語の音楽とは違う感じがする。

似た歌のグループがいくつかあるという事は、作っている人は真似をして作っているのか。

それなら一番最初に作った人は?

たぶん鳥の鳴き声とか雨の音をまねしたんじゃないかな。」

 

小学生の時に思いついたこのアイデアですが、それは今となっても変わりません。

 

よく創造とは0から1を生み出す事と解釈されがちですが、僕にはそんな魔法を信じることができなかった、そして今もできないのです。

 

僕は昔から真似をよくしました。

小4の時、宿題の日記がどこかで見たインターネット掲示板に影響され

「その時弟がおぼれちゃったんですよね(笑)

あの時はあせったなぁ~。」

という口調に急に変わったことを覚えています。

(実家に帰って見つけたらその画像もアップしますね)

 

またピカソの絵を見たときは適当な絵が良いのかと勘違いをし、(盛大な勘違い)

美術の時間に適当に絵を描き殴ってやり直しにさせられました。

(実際適当にかきなぐっても全然きれいではなかった)

 

僕は昔から創造的だ、変わっていると言われていたのですが、すべて人のまねっこだったんですね。

変わった人をまねているから人とは違ったというだけなのです。

 

クリエイティビティを上げる方法

 

さて、クリエイティビティを上げる方法ですが、

これはみなさんもお察しのとおり真似をすることです。

しかし何かに取り組む際「よし、真似をするぞ!」

ではうまくいきません。

 

じゃあどうやって真似をするの?という話ですが、意外と簡単な事なんです。

それは日ごろから真似をする対象を自分の中に蓄積する事。

 

なんだか難しいですが具体的な例はこんな感じです。

 

絵→美術館に行く

音楽→いろんなジャンルの音楽を聴く

文章→いろんな文体の本を読む

服→服の雑誌を読む

笑いのセンス→漫才とかコントをたくさん見る

 

これらの行動によって、クリエイティビティは形成されます。

 

絵に関して申し上げますと、僕はアートの授業で高評価を得ました。

僕はよく美術館にいくので何万もの絵画や彫像、造形品を見てきました。

これらは記憶にはっきりと留まることはないのですが、

そのわずかな感覚や印象など、ちりのような小さな小さな経験が僕の中に積もっていきます

その結果、なにかを作り出そうとしたときにその小さな小さなちりたちをひねり出したら全く新しいものが出てきたように見えるんですね。

でも実際はそれは小さな小さな既存のものの集まりなわけです。

 

でも人には新しいものに見える。

自分にすらその一つの小さなちりがどこからとってきたものなのかもわからないので、

まったく新しい物を作ったような感覚がする。

 

これがクリエイティビティの正体です。

 

クリエイティビティを作る物の消費の仕方

物の消費の仕方ってつまり音楽の聴き方とか美術品の見方、文章の読み方と言ったことです。

この消費の仕方は英語を例にとって説明させていただくととてもわかりやすいです。

話が色んなところに飛んでわかりづらいかもですがご容赦ください。

 

英語を英語の字幕付きで見ると何を言っているのかよく理解できます。

そして英語の字幕をなくしてもなんとなく何を言っているのかわかります。

しかし目を閉じてその音声にだけ注目すると、全然聞こえないことに気づきます。

実は目で字幕をおっていて、そのあと字幕を無くした際も頭の中にのこった字幕を追っているだけなのです。

 

このように人間は見たり聞いたりしているつもりでも、その意識は完全には集中しきれていないことが多いです。

 

そのことを念頭に置き、音楽を聴くなら耳に神経を集中させ、美術品を見るなら細部にまで気を配り見ることが小さなちりの集積には大切です。

 

その作業が無ければ小さなちりさえ残らないかもしれません。

 

最後に

この話は美術的な話にとどまりましたが、色んな日常生活に生かせるはずです。

創造的な企画を作りたければ頭をひねるだけではまだ小さなちりが足りないかもしれません。

ならば有名経営者が書いた書物を読み漁ってみたり、いろんな企画の詳細に目を通したりして小さなちりを集める事が大切です。

この小さなちり集めは一朝一夕では行かないことが難点です。

あなたがクリエイティビティを発揮したい分野があるのなら、常日頃から、娯楽感覚で、でも熱中して多くの物に触れていかねばなりません。