敬語の不思議な力 敬語を使われて偉そうな態度をとっていませんか?
どうも敬語が苦手なハルハロです。
敬語は人間関係を円滑にするために重要なツールです。
よく日本語には敬語があって、英語にはないという言い方がされますが、そんなことはありません。
英語にも敬意を表する時に使うべき言葉遣いはあります。
フランクなときの言葉遣いとは全く違うものです。
しかし、日本語の敬語が英語のそれとはまったく違うのも事実です。
実は日本語の敬語は私たちの生活に大きな影響を及ぼしているのです。
病院での事例
ある新聞記事にこんなコラムが掲載されました。
ある病院でこのような取り組みが行われました。
「患者さんもレストランなどのお客さんと同じように丁寧に扱われるべきだ。なのでこれから『~さん』ではなく『~さま』と呼ぶようにして、言葉遣いも丁寧にしよう。」
というものです。
一見この取り組みは素晴らしいように思えますが、思わぬ副作用が起きました。
病院内での患者さんの態度が横柄なものになり、看護師へのセクハラなどの報告が急激に増えたのです。
アメリカの大学での事例
さらに別の敬語にまつわる事例として僕自身の経験をお話しします。
僕がアメリカに留学したとき、寮が2人部屋だったのですがルームメイトは1歳年下のアメリカ人でした。
しかし英語における上下関係は日本語における上下関係よりもっとゆるくて、僕らは親友になりました。さらには寮の同じ階に住むフロアメイトたちは1年生から4年生まで様々ですが、皆仲が良かったです。
学校で新たな人と出会った時、初めての会話を考えてみましょう。日本であれば敬語を使うべきか否かを見極めるために学年を聞きます。そして敬語を使うかどうかを決めてそこで先輩後輩という関係が生まれます。
しかしアメリカでは敬語に気を配る必要がそこまでないので、初対面で学年を聞く必要がありません。もちろん興味があれば聞きますが、必ずしも聞くわけではないです。そして先輩後輩という言葉が英語にはなく、皆友達です。
アメリカ人の気質などもありますが、この様なフランクな関係性は敬語が無い事も一因として考えられるとは思いませんか?
敬語を使われて偉くなった気分になっていないか?
この二つの事例から言える事、それは人間は言葉遣いで自分と他者の関係性を決めることがあるという事です。
そして私が言いたいのは敬語を使われているからと言って、自分が偉い気になっていないかを考えるべきであるという事です。
日本の敬語文化を否定する気はありません。
年上を立てようとする美しく、素晴らしい文化です。
しかし敬語を使われる側のものが、その言葉遣いのみで相手を見下したり、相手を尊重することを忘れてはなりません。
僕にも思い当たる節があります。
敬語の力とは強力で、気をつけても十分すぎることはありません。
後輩や、年下に気を使う事ができれば、さらに尊敬される先輩になれる事間違いなしです。